2011年3月13日日曜日

体験談8:トリプル  ネガテイブ  ブレス キャンサー

診断(57歳)

2004年10月の朝、シャワーをあびてるときにふと右脇の下に1cmほどのクリクリのようなものを感じました。あれ、へんだなと思って、さっそくInternetで調べると、リンパ腺にできるクリクリは、虫にさされたとき、風邪をひいたとき、あるいは乳がんとかいてあって、さっそくFamily Doctorにいきました。胸にはまだしこりのようなものは何もありませんでしたが、DoctorはマモグラムとUltra Soundの予約をとってくれました。テストの1週間後Doctorからの電話で乳がんの恐れがあるので、翌日に外科医との予約をとったということです。
10月19日マモグラムとUltra SoundのFilmをもって、夫と一緒に外科医にあったとき、99%乳がんだと診断されました。その前日までわずかな望みがあったのですが、そのときはそれこそ崖から落ちるように、目が真っ暗になって、涙が茫々とでました。癌と診断されるまでは元気イッパイの私だったのですが、それから、紙一重のように癌の病人になってしまったのです。
Biopsy
そのころには右胸の12時のところにしこりがでてきました。すぐにBiopsyの予約があり、一度目の乳房からの検査では癌とはっきりとでませんでした。2回目のBiopsyでは脇の下のリンパ腺のしこりからも検査されました。そのときの検査では癌とはっきり確認されました。
Triple Negative Breast Cancer
検査の結果、私の癌は進行がんのTriple Negative Breast Cancerと診断されました。Triple NegativeとはEstrogenとProgesteroneというホルモン、 Her2の要素が全てNegativeで、悪性の種類です。この種の癌は乳がん全体の10%-20%で、治療方法がまだ未熟で、3年以内に身体の他の部分に再発されるリスクがあるということでした。
手術
手術の日取りが11月4日ときまりました。外科医は局部撤回とキモセラピー、Radiationの治療を推薦してくれましたが、自分で調べた結果、全摘手術を決心しました。再建手術をと外科医から言われたのですが、再建手術となると1ヶ月以上手術を待つ必要がありました。とくに脇の下のリンパ腺のしこりがドンドンとおおきくなっていくのがわかるので、この癌を一刻もはやくとってもらいたいと思うのみでした。手術のとき、全摘と16個のリンパ腺が摘出されました。手術のときには胸の癌は2cm、リンパ腺の癌は4cmになってました。一晩だけの入院で、翌日はまだフラフラな状態で退院させられました。
Physiotherapy
右胸から右の脇の下まで、手術でとられたので、右腕があがらなくなりました。それでPhysiotherapistに週2回合計6回ほど通って、おかげで右腕も前のようにあがるようになりました。

Chemo Therapy
私の乳がんはリンパ腺に及んでいて、また悪性のTriple Negativeということもあって、BC Cancer Agency からChemo が必要であると言われ、Clinical TrialをOfferされました。このClinical Trialはすでに何万人もの西洋諸国で実地されていて、3つのChemo Therapyのうち、一つをRandomに選択されるのです。私の場合、一番 Intensiveな方法が選ばれました。2週間に一度の2種類のChemoを6回。その後、また別のChemoを3週間に一度を4回。合計10回のキモをうまくいけば6ヶ月で終えるというものでした。一回目のキモは12月14日に行われました。
自分ががん患者であると痛感するのはこのキモを受けたときでした。初めのキモから10日後に髪の毛が抜けました。身体全体にひどい疲れの症状、毎日、自分の魂というかSpiritがなくなって、ただただ幽霊のように生きている状態です。一番苦しいときでした。日本から姉が来てくれて、夫、姉、多くの友達の助けがなければ、決して生きていけないとおもいました。キモを中止したいと何度も思いました。でも、夫が彼のために続けてほしいといわれると自分のためじゃなく、彼のためにキモを続けて生き延びようと決心しました。キモをやってる間に白血球、赤血球が減りすぎて、何回かキモの日が延長になり、6ヶ月のキモは7ヶ月以上かかりました。
Radiation Therapy
やっとChemoが終わったとおもうや、Radiation Therapyを推薦されました。私の場合、全摘をしたから、Radiationは必要なしと思っていたのですが、癌の摘出手術の際MarginがClearでないことから、Radiationが進められたのでした。でも、もうその時、私は生きるためにはなんでもやってやるという根性がでてきました。“なんでも来い“という気持ちです。Radiationは16回でした。Radiationはキモに比べると”お茶の子さいさい”と思われるくらい私にとっては楽なものでした。
その後に思うこと
全ての治療は2005年8月に終わりました。Triple Negativeは悪性で治療法も少ないのですが、一番いいことはキモとRadiationが終わった後のホルモン治療、たとえばTamoxifenをとる必要がないということです。またClinical Trialの今までのデータでは、私が受けたChemo Therapyが一番の効果があるということです。再建手術は受けないことにしました。これは私の勲章のようなものです。
もちろん癌などにかからないのが一番いいです。でも癌になって、いろいろなよいこともあります。まず、私自身が穏やかなやさしい人間になったのではないかと思うのです。病気の人の気持ちがわかるようになり、夫、家族、友達への感謝も増し、心の持ち方ひとつで毎日を楽しく過ごせることがわかるようになったと思うのです。